第667号 幸せな生き方、働き方
2017.1.10
幸せな生き方、働き方
―― 幸せになる方法はない。幸せな生き方があるだけ ――
2017年が幕開けいたしました。本年も当通信をご愛読のほどよろしくお願い申し上げます。
冒頭の言葉は、昨年11月に四国高知のネッツトヨタ南国にベンチマークさせていただいた折に、横田英毅相談役からいただいた言葉です。とても考えさせられ、とても有益な含蓄のある内容で心に響いています。それ以来、幸せな生き方ということについて考えています。
幸せになりたいと思い、いろいろと学びだすと「利他」という概念に出会います。これについては、「利己的な発想を捨て、周りを幸せにする行動を優先していくことで、やがて相手との関係性がよくなり、正の結果がついてくるので自分にも幸せが感じられる」という理解をしていました。
しかし、それは方法論なのだと冒頭の言葉は悟らせてくれます。誰かの犠牲のうえに成り立つ幸せがホンモノであるわけがありません。ましてや自己犠牲のうえに成り立つはずがないのは明白でしょう。
ある会社は社訓として「自利利他」を掲げていました。そして、その意味については、利他を実践すれば、いつかは巡り巡って自分の利益になるという考え方ではなく、「利他の実践がそのまま自分の幸せなのだ」と付け加えられていました。
ちょうど横田相談役の言葉を聴いた直ぐ後に出会ったので、こういうことが幸せな生き方という意味なのだとストンと落ちました。つまり、自分の行動で人を幸せにすること、あるいは人が幸せになること、それそのものが瞬時に自分の幸せと一致するという感覚です。
これなら自己犠牲ではありません。相手の喜びと自分の喜びが常に一致する状態をつくっていく、それが幸せな生き方なのではないでしょうか。
とはいえ、人間の心はいいことに気づけてもすぐに忘れてしまいます。私たちが日々生活していく社会は煩悩を引き起こす事象であふれているからです。
煩悩の中でも特に人間をいちばん苦しめる毒薬といわれる「貪瞋痴(とんじんち)」すなわち「貪りの心」「怒りの心」「愚痴の心」は三毒といわれ、誰もが日々向き合わされていきます。
貪りの心は、欲のために心が病気になる状態で、自分さえよければと自己中心的で、ついつい周りが見えなくなります。怒りの心は、自分が思うようにならないと腹を立て、反発する状態です。そして、愚痴の心は、自分か叶わぬのに人が叶うことをみて嫉妬していく状態です。
この三毒に支配されていると、相手の喜びと自分の喜びが常に一致する状態をつくっていく自利利他は到底できないと気づかされます。
煩悩は無くなりません。だとすれば、それが出ないように、それに支配されないようしていくことに尽きます。それが修行ということなのでしょう。そのためには日々、瞬間瞬間、「幸せになる方法はない。幸せな生き方があるだけ」という感覚に自分の意識をチューニングしていくことが大事だと分かります。毎朝、仏壇や神棚にお祈りし、今日も自利利他を実践しますと誓い、心がそういう状態でいるように意識して過ごす努力をしていきます。感情に三毒はすぐ入ってきます、それは防ぎようがありませんから、入ってきた時に気づけばいいわけです。そして、「くわばら、くわばら」と、またチューニングしていくのです。このことを繰り返していくことが精進という状態なのだと学ばされます。
ここまで気づけると、とても生き方が楽になっている自分があることにさらに気づけます。そして、本当に人の幸せを心から良かったねと思えていると体感できる瞬間がやってきます。これが成長ということなのでしょう。どんどんそういう時間が増えていくことで、確実に日々幸せになっていくのです。
このように自利利他を実践し、幸せな人を増やしていくことを会社や組織で実現していくことが、すなわち人本経営にほかならないのだと改めて悟ります。自利利他を実現させるための心がけを社是やクレドで掲げて、朝礼や研修などで大切な原理原則に意識をマインドセットして日々行動し、出来ていることを承認し、反省点を改善するための対話を繰り返し続けていく――。
確実にいい会社になっていく幸せな働き方がそこにあるのです。
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